動物的な、あまりにも動物的な

 ろくにその国の言葉も知らないにもかかわらず、その国の言葉で書かれた文章(しかも子供向けのような簡単な文章ではなく)を読んで「理解」したと言い切る人間は、よほどの天才かあるいはよほどのバカのどちらかだろう。以前取り上げたユダヤホロコーストに関する本の作者は間違いなく後者である。これは彼の主張することの一部が間違っていたというだけでは済まされない問題を含む。すなわち彼はその程度の「理解」をもとに彼の主張を展開しており、それについてなんら疑問を持っていない。ということは彼の他の主張もその程度の「理解」の上に成り立っているのではないか?
 日本においては英語以外の外国語はマイナーで、なかなかある程度までその言語を「理解」している人は少ない。であるからそういった言語についてもっともらしく解説をしていたり、あるいは原文を読んだとかいわれると、ああ、この人は英語以外の外国語がわかるんだと錯覚しがちである。しかし今までにもさんざん書いてきたように人の「理解」というものは相対的で、その程度は人によって少なからず違う。そしてあまりにも低い程度の「理解」にもかかわらずそれを「理解」したと認識する人間の主張がいかに信頼できないものであるかは、上の事例を見ても明らかである。
 最後に一つ面白い事例を紹介しよう。とある人間はこう主張している。
「私はアドルフ・ヒトラーの『我が闘争』をドイツ語の原文で読んで「理解」した。そしてナチスが言うところの「第三帝国」はドイツ語では「だす どらいぜす らいひ」というのだ。」
ドイツ語をまともに文法から勉強したことがある人であればここでこの事例を紹介した理由がわかるでしょう。だからというわけではないのですがこの事例に関しては敢えて解説をしません。
 以上長々と半月ほどかけてくだらないことを書いてきましたがこれで終わりにします。なかなか不評でしたし、何よりも面倒くさいんで(笑)。何通か感想メールをいただきました、どうもありがとうございました。明日からはおきらくごくらくおちゃらけ系日記に戻ります。