メモ

「私が心理的意識において次々と被ってゆく諸経験は、私のそれまでの人生経験の上に築かれた暫定的な人格的統一性に対して様々に作用する。私の当座の人格的統一性にうまく編入され吸収される経験もあれば、逆にそれと衝突し葛藤に入ったり、ときには統一性そのものに根本的な変更を迫るような経験もある。
 生きている私が自我の不安定さをとりわけ痛感させられるのは、後者の場合のように、ある予想外の事態に遭遇し、自らのそれまでの一応の人格的まとまりによってはそれの合理的な処理ができない場合であろう。ところが、このような場合に、何らかの絶対普遍の根拠に支えられた自我観(まさにドイツ観念論的なそれ)や、それに基づく自律思想に立脚していたならば、いかなる感性的経験も仮象であるとされ、自我によってその作用を真摯に受け止められることのないままに打ち捨てられることであろう。明確で確固たる、純粋なアイデンティティの形成を要求するような自律観は、居心地よく安心な既成事実を保守したいという願望と表裏一体である。それは、あらゆる未知のものとの葛藤に入る事態への恐れを物語る。このような自律観は、未来に出現する異質で未知なもの、つまり「他者性」を予め排除する傾向を擁しているので、これを内面化した人々からは、やがて異質なものの存在を許さず多様性を認めない、凝集的で同質的な社会が作られるであろうことは必至である。」(『哄笑するエゴイスト』住吉雅美)