笠松競馬

が廃止されるかもしれないとかいうことで、各所でいろいろな動きがあるそうな。地方競馬はどこもどん詰まり状態で、笠松でもこれもご多聞に漏れず近年はずっと苦しい経営状態らしい。ただ笠松の場合、現在廃止が現実問題として切実になっている他の競馬場(例、高知競馬)と比べてまだ借金を背負っていないという点で多少条件に違いがある。借金が重なってもうどうしようもなくなってしょうがないから廃止しようという話が出てきたというわけではなく、今はまだ大丈夫だがこのままいくと近い将来確実に赤字に転じるぞという見通しがあってその対応として廃止が検討され始めたのだ。これは笠松にとってはある意味有利な時期に問題が表面化したといえるかもしれない。もう体力も尽きかけている時点でいかに対策を練ろうとしてもまさにハルウララのような救世主でも現れない限り選択の幅は限りなく狭く、そして今後更に狭くなっていくであろうことは想像に難くない。それに対してまだ十分体力がある間に対策を立てようとすれば選択の幅は充分に広く、それにより効果のある対策を立て得る可能性は高くなる。
これが一企業であれば、不採算部門を廃止するという思考は、出資者=株主の資金を預かって利益を産み出すのが目的であるからある意味マトモな思考である。そして地方競馬にしても経営母体が私的団体ではなく公共団体であるという点が違うだけで、出資者=納税者の税金により利益を産み出すという面がある以上採算が取れなければ廃止するという思考が出てきてもおかしくないだろう。だが地方競馬の場合単純な利益獲得手段という面の他に、スポーツとしての、文化としての面があるという点が重要な要素になってくる。特に笠松に代表されるような地方競馬の場合は中央競馬と異なり、その地方に根付いた郷土的な文化という側面が色濃くなる。
競馬というスポーツは簡単に言えば馬のかけっこである。それゆえより足の速い馬が求められる。では足の速い馬というのはどのような馬なのであろうか?足の速さというのはある程度は訓練によっても鍛えることができる。だが極限的な速さを競う競馬においてはその馬の素質、もって生まれた強さが一番の決め手となる。
では素質のある馬とはどのような馬か?この問いに対する確たる答えはない。だが数百年にわたる競馬の歴史の中で得られた経験的な事実として、名馬といわれた馬は父母もまた名馬といわれた馬であることが多い。簡単に言えば足が速い馬からは足が速い馬が生まれることが多いということ、父母が名馬である子のことを「その馬は血統が良い」と表現する。ただ血統が良いからといって必ずその馬が足が速いということにはならないのではあるが、それでも血統の悪い馬と比較するとその馬が足が速い馬である確率は高いという経験的な事実がある。であるから競走馬のオーナー=馬主には血統の良い馬がより望まれる。より望まれるということは需要が高いということであって、それに対して血統の良い馬の数は限られる=供給量が少ないから当然血統の良い馬は高値で取引されることになる。血統の良い馬を購入した馬主は購入に要した費用をレースに勝つことで得られる賞金で取り戻すことができる。足が速ければグレードの高いレースに勝つことができ、グレードの高いレースは賞金も高い。逆を言えば賞金の高くないレースに勝っても馬主としてはあまり旨みがなく、より賞金の高いレースに出走させることを望む。その傾向は馬を購入した費用が高ければ高いほど増加するだろう。
ここで中央競馬=JRAと笠松競馬の賞金を見ると、成績による馬の格付けが同程度と思われるレースで比較するとこれが10倍前後の差があるのである。(当然JRAの方が賞金が高い)この事実から容易にわかるように、血統の良い馬=購入額の高い馬=足の速い確率の高い馬はJRAの方に集中する。そして事実地方競馬に在籍している馬で血統の良い馬はほとんどおらず、そしてJRA所属馬に勝てる馬は少ない。競馬をやっている人間にはおそらく共通していると思うのだが、JRA所属馬に比べて地方競馬所属馬は一段レベルの低い馬という認識があるのではないだろうか。
だが面白いことにたまに地方競馬から血統はそんなに良くないにもかかわらず恐ろしく強い馬が出現することがある。その馬がJRA所属馬を向こうに回してレースに勝つことは、ただ単に「ああ、地方出身でも強い馬がいるんだな」という驚きだけでは終わらない。今までコンプレックスを抱いてきた相手、勝負をする以前にかなわないものだと思い込んでいた相手を、能力の劣った一段低い者が打ち破るという、現存秩序の破壊にも似た強烈なインパクトを与える。そしてそうしたインパクトは競馬という小さな世界を超えて日本全国に波及することがある。ハイセイコーオグリキャップはいわゆる競馬ブームを地方出身馬が作り出した典型的な例である。
このことはその馬を送り出した地方競馬にとってみれば、自分達が中央に対して決して劣った存在ではないという証明であり、さらには優位にも立ちうるのであり、現実に立ったのだという事実は誇りにもなる。そしてこれはその地方競馬だけでなくその地域全体にとっても全国に対して「我々」が優秀な馬を送り出したんだという誇りにもなるのである。上で馬の強さは素質が一番だと書いたが、だからといってその地方競馬にたまたま血統は悪いが素質のある馬が紛れ込んだだけだという結論にはならない。馬自身の素質が一番重要なのは確かなことではあるが、その馬が競馬という区切られた世界で充分にその素質を開花させるには人間による修正が不可欠であり、調教師、厩務員等の能力をはじめとしたその地方競馬全体の能力もまた馬の強さを引き出したり殺したりする。であるから強い馬の出現はその地方競馬そのものの能力の高さ、そしてその地方競馬をそのような形で存在させているその地域の力を証明することになるのである。
そして笠松競馬について見れば、先に挙げたオグリキャップオグリローマンというJRAのG1(最もレベルの高いレース)に勝利した馬を送り出し、またライデンリーダーレジェンドハンターフジノテンビーといったようなJRAにおいても遜色のないような馬を送り出している。また人材にしてもJRAに移籍後1ヶ月でG1に勝ち、そして2年目でおそらく日本で最も有名なレースである日本ダービーを勝ったジョッキー、安藤勝巳を送り出している。これは地元の笠松町をはじめ周囲の地域にとって充分誇りになることであるし、いわばその地の文化の所産であるといってもいい。これらを生み出した笠松競馬はいわば地域の無形の財産であるといっても過言ではないとさえわし個人は思っている。このすばらしい文化、財産を単純な損得勘定のみを根拠にして廃止を決することはそれ以降予測されたであろう損失に数倍数十倍するものを失ってしまうことになるのではないか。
つーか個人的なことをいえば競馬をやりだしたときに住んでたのが笠松の近くでさ、初めて行った競馬場も笠松だったわけさ。競馬場は他にも行ったけど、笠松のあのほのぼのとした牧歌的な雰囲気とか、場内の小汚さとか、適度にがらがらな客席とか(まあこれが廃止騒動の原因なんだろうが)が、わし的には一番のお気に入りなのよね。海を越えたところに引っ越してきちゃってもう滅多に行けないんだけど、んでも帰省したい折とかにもし時間があればまた行きたいと思うわけさ。んだからもしなくなっちゃったらすごい悲しいんだよね。